まともな人間が珍種扱いされる組織の病理
Abstract
ストレートな物言いで誤解されがちだが、話すと唯一まともな人物。組織における「正常」の希少性について
基本情報
- 通称: 帰国子女(希望の星)
- 学名: Homo sapiens normalis(正常なヒト)
- 役職: 少し偉い人
- 特技: スタンダードでセンスの良い実装、価値を生み出すこと
- 弱点: 話が長くなりがち
序章:異端者の正体
最初に断っておく。
この人は、おじさんではない。
正確に言えば、年齢的にはおじさんかもしれない。しかし本シリーズで観察してきた「大企業病おじさん」とは、本質的に異なる生命体だ。
彼の学名は Homo sapiens normalis。直訳すれば「正常なヒト」。
皮肉なことに、この組織において「正常であること」は、極めて珍しい形質なのだ。
第一章:第一印象の罠
帰国子女を初めて見たとき、多くの人は警戒する。
物言いがストレートすぎる。
日本の組織では、直接的な表現は避けられる傾向がある。「ちょっと難しいかもしれませんね」は「無理です」の意味であり、「検討します」は「やりません」の婉曲表現だ。
しかし帰国子女は違う。
「それは間違っています」 「この方法では失敗します」 「もっと良いやり方があります」
海外で育った彼にとって、これは普通のコミュニケーションだ。しかし日本の組織では「ヤバいやつ」に見える。
心理学には「ハロー効果」という概念がある(Thorndike, 1920)。ある特徴的な印象が、その人物の全体評価を左右してしまう現象だ。
帰国子女の場合、「ストレートな物言い」という第一印象が、ネガティブなハロー効果を生んでいる。
しかし、実際に話してみると印象は一変する。
この人、めちゃくちゃまともだ。
第二章:逃避行の果て
帰国子女がなぜ今の部署にいるのか。
会社のいざこざから逃げてきたのだ。
大企業には、政治がある。派閥争い、権力闘争、足の引っ張り合い。本来の業務とは無関係な「ゲーム」が、至るところで繰り広げられている。
組織論では、これを「マイクロポリティクス」と呼ぶ。組織内の小さな権力闘争のことだ。
帰国子女は、このゲームに嫌気がさした。
彼が求めていたのは、純粋に価値を生み出す仕事だった。顧客に届くプロダクト。社会に貢献するサービス。技術者として誇れる成果物。
しかし前の部署では、そんなものより「誰につくか」「どう立ち回るか」が重要だった。
だから逃げた。今の部署に。
これは敗北ではない。生存戦略だ。
「賢者は争いを避ける」 ― 老子
第三章:価値を生み出す唯一の人
この部署で、本当に価値を生み出そうとしているのは誰か。
観察の結果、答えは明確だった。
帰国子女だけだ。
他のおじさんたちは何をしているか。
誰も「顧客にとっての価値」を考えていない。
帰国子女だけが、違う問いを持っている。
「これは本当に必要か?」 「もっと良い方法はないか?」 「ユーザーにとって何が最善か?」
心理学では、このような姿勢を「内発的動機付け」と呼ぶ(Deci & Ryan, 1985)。外部からの報酬ではなく、活動そのものから得られる満足感によって動機付けられている状態だ。
おじさんたちは「外発的動機付け」で動いている。評価、昇進、保身。自分の利益が行動の原動力だ。
帰国子女は、純粋に「良いものを作りたい」という内発的動機で動いている。
この違いは、決定的だ。
第四章:学ぶ姿勢
帰国子女の仕事ぶりを観察して、驚いたことがある。
新しい仕事を与えられると、かなり時間をかけて勉強する。
多くのおじさんは、知ったかぶりをする。わからないことを認めたくない。だから表面的な理解で突き進み、後で大炎上する。
帰国子女は違う。
まず徹底的に調べる。公式ドキュメントを読む。ベストプラクティスを調査する。先行事例を研究する。
そして、スタンダードでセンスの良い方法で実装する。
「スタンダード」というのは重要だ。奇をてらわない。車輪の再発明をしない。業界で確立された方法論に従う。
これは「NIH症候群」(Not Invented Here Syndrome)の対極にある姿勢だ。多くの組織は「自前主義」に陥り、既存のソリューションを無視して独自実装を好む。
帰国子女は、エゴを捨てて最善の方法を選ぶ。
「巨人の肩の上に立つ」 ― アイザック・ニュートン(ベルナールへの書簡、1675年)
第五章:イタズラ好きの一面
帰国子女には、意外な一面がある。
エンジニアらしいイタズラ好き。
技術者には、ある種の「遊び心」を持った人が多い。システムの裏をかく方法を考えたり、意外な使い方を試したり。
これは悪意ではない。純粋な知的好奇心の発露だ。
心理学では「遊び」が創造性と密接に関連していることが知られている(Csikszentmihalyi, 1996)。遊びの中で、人は制約から解放され、新しいアイデアを生み出す。
おじさんたちは「遊び」を忘れている。すべてが政治であり、すべてが保身だ。
帰国子女は、まだ遊び心を持っている。だから創造的でいられる。
第六章:話が長すぎる問題
正直に言おう。
帰国子女には欠点がある。
話が長い。
やる気のある人間を見ると、嬉しくなってしまうらしい。新しいチャレンジに興味を示す若手がいると、目を輝かせて語り始める。
「昔こういうプロジェクトがあってね」 「この技術はこういう背景があってね」 「海外ではこういうアプローチが主流でね」
気づくと1時間が経っている。
これは「知識の呪い」と呼ばれる認知バイアスの一種かもしれない(Camerer et al., 1989)。自分が知っていることを、相手も知りたいはずだと仮定してしまう傾向だ。
しかし考えてみてほしい。
他のおじさんたちの「話の長さ」は何のためか。自慢、責任転嫁、言い訳だ。
帰国子女の話の長さは何のためか。知識の共有、後進の育成、純粋な熱意だ。
同じ「話が長い」でも、ベクトルが違う。
むしろ、この欠点は愛おしくさえある。
第七章:周りのレベルが低すぎる問題
観察者として、率直に言わなければならないことがある。
帰国子女は、周囲の環境に恵まれていない。
彼の周りには、こんな人々がいる:
- 論理的思考ができない人
- 技術を理解しようとしない人
- 政治的な立ち回りだけが得意な人
- 問題を解決するより隠すことを選ぶ人
これは「ピーターの法則」の帰結かもしれない(Peter & Hull, 1969)。人は無能になるレベルまで昇進する。結果、組織の上層部は無能な人で埋め尽くされる。
帰国子女は、この法則に抗っている珍しい存在だ。
彼は有能なまま、今のポジションにいる。だからこそ、周囲との落差が際立つ。
これは孤独なことだ。
同じ言語を話せる人がいない。同じ価値観を共有できる人がいない。「まともな会話」ができる相手がいない。
「天才とは、狂人たちの中にいる正常な人間のことである」 ― 作者不詳
第八章:なぜ「正常」が珍しいのか
ここで構造的な問題を考えてみよう。
なぜ、まともな人間が珍種なのか。
日本の大企業には、ある種の「淘汰圧」が働いている。
- 成果より調和:突出した成果を上げるより、波風を立てないことが評価される
- 年功序列:能力より在籍年数が昇進の決め手になる
- 減点主義:挑戦して失敗するより、何もしない方が安全
- 同調圧力:異論を唱える者は排除される
この環境では、「まともな人間」は生存しにくい。
まともな人間は、おかしなことに「おかしい」と言う。非効率なプロセスを改善しようとする。価値のない仕事を断ろうとする。
これらはすべて「波風を立てる」行為だ。
結果、まともな人間は排除されるか、自ら去っていく。
残るのは、おじさんたちだ。
帰国子女は、このシステムの中で奇跡的に生き残っている例外だ。
海外で育ったという背景が、彼を守っているのかもしれない。「あの人は帰国子女だから」という言い訳が、彼の異端を許容している。
対策
これは「対策」というより「組織への提言」だ。
1. まともな人間を大切にする
帰国子女のような人材は、組織の宝だ。彼らが去れば、組織は内部から腐っていく。
2. 心理的安全性を確保する
心理的安全性(Edmondson, 1999)のある環境では、率直な意見が歓迎される。帰国子女のストレートな物言いが「ヤバい」ではなく「ありがたい」と受け止められる文化を作る。
3. 内発的動機を持つ人を評価する
政治がうまい人ではなく、価値を生み出す人を昇進させる。評価制度を根本から見直す。
4. 話が長い人の話を聞く
帰国子女の話は長いが、中身がある。時間を取って聞く価値がある。若手は特に、彼から学べることが多い。
観察者の所感
帰国子女を観察して、複雑な気持ちになった。
嬉しさと悲しさが入り混じっている。
嬉しいのは、こんな人がまだ組織に存在していること。完全に腐りきっていないという希望。
悲しいのは、こんな人が珍種扱いされる環境。まともであることが「異常」とみなされる倒錯。
帰国子女は、鏡のような存在だ。
彼を見ることで、組織の歪みが浮き彫りになる。彼が「変わっている」のではない。周りが狂っているのだ。
彼がこの組織に残り続けてくれることを願う。そして、彼のような人材がもっと増えることを願う。
しかし正直に言えば、彼にはもっと良い環境があるとも思う。
彼の能力を正当に評価し、彼の率直さを歓迎し、彼の知識を活かせる場所。
いつか彼がそういう場所を見つけることを、密かに願っている。
参考文献
- Camerer, C., Loewenstein, G., & Weber, M. (1989). The curse of knowledge in economic settings: An experimental analysis. Journal of Political Economy, 97(5), 1232-1254. DOI
- Csikszentmihalyi, M. (1996). Creativity: Flow and the Psychology of Discovery and Invention. Harper Collins.
- Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Plenum Press.
- Edmondson, A. (1999). Psychological safety and learning behavior in work teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350-383. DOI
- Peter, L. J., & Hull, R. (1969). The Peter Principle: Why Things Always Go Wrong. William Morrow and Company.
- Thorndike, E. L. (1920). A constant error in psychological ratings. Journal of Applied Psychology, 4(1), 25-29. DOI