「全部壊して俺が作り直す」― グレートリセット癖という病
Abstract
既存のプロセスを全否定し、自分だけの『最強のやり方』で組織を再構築しようとする。そして何も良くならない。グレートリセット癖を持つおじさんの生態観察。
本日の観察対象
不眠キング (Homo insomnicus superiorus) 役職:偉い人 / 症状:重度のグレートリセット癖 / 危険度:SSR
離職率マスター (Homo resignationis catalyst) 役職:少し偉い人 / 役割:変換器・点火役 / 危険度:SR
観察記録
第一章:グレートリセット癖とは何か
ある日、不眠キングが宣言した。
「今までのやり方は全部ダメだ。俺が新しいプロセスを作る」
会議室に沈黙が流れた。また始まった、と誰もが思った。
グレートリセット癖とは、既存の構造やプロセスを「いけてない」と全否定し、自分の考える「最強のやり方」で一から作り直そうとする衝動のことである。
彼らはこれを「フルリセ」と呼ぶ。フルリセット、の略だ。
「今度フルリセするから!」
企画職の人々は楽しそうにそう言う。目を輝かせて。まるでサプライズパーティーを企画するかのように。
しかし、ソフトウェア開発やサービス運用の経験がある者なら知っている。いきなりのUIの大幅変更は、最悪のアンチパターンである。ユーザーは混乱し、サポートコストは跳ね上がり、離脱率は上昇する。
段階的な改善。A/Bテスト。ユーザーフィードバックの収集。これらを地道に積み重ねるのが、まともなプロダクト開発だ。
だが彼らにとって、「フルリセ」は手段ではない。目的だ。
変えること自体に快感がある。リセットボタンを押す瞬間のカタルシス。「俺が変えた」という達成感。その快楽のために、ユーザー体験は犠牲にされる。
この症状を持つおじさんには、以下の特徴がある:
- 既存の仕組みの良い部分を認めない
- 問題の原因分析をしない(または浅い)
- 「俺が作り直す」という万能感
- 作り直した結果が元より悪くなっても認めない
これは心理学で言う「NIH症候群(Not Invented Here)」の亜種と言える。自分が関与していないものは価値がない、という認知バイアスだ。
「自分で発明したものでなければ、価値を認めたくない」 ― NIH症候群の本質
第二章:💡ピコーン ― 短絡的因果推論の瞬間
グレートリセット癖が発症する瞬間には、特徴的なパターンがある。
我々はこれを「ピコーン」と呼んでいる。
ピコーンとは、複雑な問題を目の前にした時、表面的な情報だけで「分かった!」と飛びつく現象だ。漫画で頭の上に電球が光るあのイメージである。
実際に観察されたピコーン事例:
【問題】 要求仕様と実装にずれがある
【不眠キングの脳内】
要求仕様とのずれ...🤔
↓
ずれがある...
↓
💡ピコーン!
↓
これはコミュニケーションの問題だ!!!
この瞬間、不眠キングの目は輝いていた。「分かった」という確信に満ちた顔。
しかし待ってほしい。
要求仕様と実装のずれには、様々な原因がありうる:
- 要求獲得プロセスの問題
- ドメイン知識の不足
- 技術的制約の見落とし
- 仕様変更の管理不備
- レビュープロセスの欠如
これらを丁寧に分析する必要があるのだが、ピコーンは待ってくれない。
「コミュニケーションが足りない」
この一言で、すべてが片付けられた。
認知心理学では、これを「早すぎる閉鎖(Premature Closure)」と呼ぶ。十分な情報収集や分析を行う前に、最初に思いついた仮説に飛びついてしまう傾向だ。
第三章:連携促進定例の爆誕
ピコーンの結果、何が生まれたか。
「連携促進定例」である。
全員参加。毎週開催。議題は「連携強化」。
…連携強化とは何なのか。
ここで重要な指摘をしておきたい。
コミュニケーションは手段であって目的ではない。
要求獲得における「コミュニケーション」とは、正確な要求を引き出すための手段だ。目的は「正しい要求を獲得すること」であり、「コミュニケーションをすること」ではない。
手段を目的化するとどうなるか。
- コミュニケーションの「場」だけが増える
- 中身のない会議が量産される
- 本質的な問題は放置される
- 参加者の時間だけが奪われる
これはパーキンソンの凡俗法則の変形でもある。本質的で難しい問題(要求獲得プロセスの改善)を避け、分かりやすい施策(会議を増やす)に飛びつく。
組織は、理解できない重要な議題より、理解できる些細な議題に時間を費やす。 ― パーキンソンの凡俗法則
第四章:会議体リセットという破壊活動
連携促進定例は、単体で生まれたわけではない。
不眠キングの「最強のやり方」の一環だった。その名もプロジェクトベース。
…プロジェクトベース?
ここで素朴な疑問を投げかけたい。
「プロジェクト」とは何か?
プロジェクトとは「特定の目的を達成するための、期限のある活動」のことだ。つまり、ソフトウェア開発において、機能追加も改修もリリースも、すべてプロジェクトである。私たちは毎日プロジェクトをやっている。
ソフトウェア開発は、そもそもプロジェクトベースなのだ。
「うちもプロジェクトベースでいこう」と宣言するのは、「うちも今日から呼吸をしよう」と宣言するようなものである。すでにやっている。ずっとやっていた。
では、不眠キングの言う「プロジェクトベース」とは何なのか。
それは今、流行っているのか?
答えよう。流行っていない。なぜなら、流行りようがない。当たり前すぎて。
「DX」「アジャイル」「スクラム」。これらは確かにバズワードとして流行った時期がある。しかし「プロジェクトベース」は違う。あまりにも基本的すぎて、誰もわざわざ言わない。「弊社は電気を使って仕事をしています」と言わないのと同じだ。
では、なぜ不眠キングは「プロジェクトベース」を掲げたのか。
答えは単純だ。何も意味していないからこそ、都合がいい。
「プロジェクトベース」は実態のないラベルだ。中身が空っぽだからこそ、何でも入れられる。既存の仕事のやり方を否定し、「新しいやり方」を導入したという実績を作るための、便利な空箱である。
これはカーゴ・カルト的な経営手法だ。
カーゴ・カルトとは、第二次世界大戦中に南太平洋の島々で発生した現象である。物資を運んでくる飛行機を見た原住民が、滑走路や管制塔を木と藁で模造すれば、再び飛行機が来ると信じた。
不眠キングの「プロジェクトベース」も同じだ。
どこかのセミナーで聞いた。どこかの本で読んだ。成功企業が使っていたキーワードらしい。だから真似する。「アジャイル」「プロジェクトベース」「スクラム」「OKR」。言葉を並べれば、成功が降ってくると信じている。
木と藁で作った滑走路に、飛行機は来ない。
しかし不眠キングは気づかない。滑走路を作った時点で「仕事をした」と思っているからだ。飛行機が来るかどうかは、実はどうでもいい。作ったという事実が重要なのだ。
しかし実態を見てみよう。
従来の会議体は「全部いけてない」らしい。だから全てリセットして、新しい会議体系を構築する。
Before(既存の会議体):
- 週次の進捗会議
- 技術レビュー会
- チーム別の朝会
After(不眠キングの最強のやり方):
- 連携促進定例(全員参加、不眠キングが話す)
- プロジェクト報告会(全員参加、不眠キングに報告)
- 課題共有会(全員参加、不眠キングが指示)
お気づきだろうか。
すべての会議が「不眠キングを中心とした構造」に再編されている。
チームも再編された。名前が変わった。役割は…よく分からない。実質的には何も変わっていない。ただ、すべてが不眠キングに報告される形になった。
これはマイクロマネジメントの究極形態である。
「プロセス改善」という名目で、実際には権力の集中が行われている。そして当の本人は、自分が組織を改善していると信じて疑わない。
第五章:変換器としての離職率マスター
グレートリセット癖は、単独では発症しない。
点火役が必要だ。
ある日、技術的な課題について議論していた。
「今のシステム、構成が複雑すぎて、相当な規模のチームじゃないと運用が回らない」
これは純粋な技術的課題の指摘だった。システム構成の見直しが必要かもしれない、という問題提起。
この発言が、離職率マスターの脳内を通過した。
【入力】 「構成が複雑すぎて相当な規模じゃないと扱えない」
【離職率マスターの変換処理】
扱えない...
↓
つまり、ダメってこと?
↓
じゃあ作り直さなきゃ!
【出力】(不眠キングへの報告) 「このシステム、もうめちゃくちゃで作り直した方がいいです。いけてないです」
見事な劣化コピーである。
元の発言:「アーキテクチャの課題がある。段階的な改善が必要かもしれない」 変換後:「全部ダメ。作り直し」
この歪んだ情報が、グレートリセット癖を持つ不眠キングに届く。
💡ピコーン!
「やっぱりな。全部作り直しだ」
そして飛び火。元の発言者が「作り直したがっている人」として認識される。
本来の主張は真逆だった。
- 計画を立てる
- その過程で必要なものを見極める
- 一部分から段階的に変える
稼働中のシステムを「全部作り直す」のは、ほとんどの場合、最悪の選択肢だ。これはセカンドシステム症候群として知られる、ソフトウェア開発のアンチパターンである。
「動いているコードを書き直してはいけない」 ― Joel Spolsky「やってはいけない過ち」
第六章:なぜグレートリセットは失敗するのか
グレートリセットが成功することは、ほぼない。
理由は明確だ。
1. 既存システムの価値を過小評価している
動いているシステムには、何年もかけて蓄積された知見が埋め込まれている。バグ修正、エッジケースへの対応、運用上のワークアラウンド。これらは「いけてない」のではなく、「現実に適応した結果」だ。
2. 問題の本質を理解していない
ピコーンで飛びついた「原因」は、往々にして表面的だ。コミュニケーションが問題なのではなく、要求獲得のプロセスが問題。会議体が問題なのではなく、意思決定の構造が問題。
3. 「作る」ことと「変える」ことを混同している
ゼロから作り直すのは、実は楽だ。既存の制約を無視できるから。しかし現実には、既存のシステムを動かしながら、段階的に改善していく能力が求められる。
4. 自分の限界を認識していない
「俺が作る最強のやり方」は、たいてい素人考えだ。専門家が時間をかけて構築したものを、素人が短期間で超えられるはずがない。
ダニング=クルーガー効果が、ここでも顔を出す。能力の低い人ほど、自分の能力を過大評価する。
対策
グレートリセット癖を持つ上司への対処
1. 小さく始めることを提案する
「全部作り直す」ではなく「まず一部分で試す」を提案する。パイロットプロジェクトやPoCの形で、リスクを限定する。
2. 既存システムの価値を可視化する
「いけてない」と言われたら、そのシステムが解決している問題のリストを作る。「これらを全部ゼロから解決し直す必要がありますね」と伝える。
3. 段階的な改善計画を提示する
計画を立て、優先順位をつけ、一つずつ改善する道筋を示す。「全部壊す」より「少しずつ良くする」方が現実的だと、具体的に説明する。
4. 失敗事例を共有する
「フルスクラッチで作り直して失敗した」事例は、IT業界に山ほどある。Joel Spolskyの「やってはいけない過ち」、Netscapeの崩壊、その他無数の事例を「たまたま」共有する。
変換器(離職率マスター型)への対処
1. 重要な話は直接伝える
離職率マスターを経由すると、情報が歪む。重要な技術的議論は、意思決定者に直接伝える。
2. 文書で残す
口頭だと変換される。メールや議事録で、自分の発言を正確に記録しておく。
3. 変換結果を確認する
「私はそう言っていません」と、誤解を早期に訂正する。
観察者の所感
グレートリセット癖は、ある意味で「変革への意欲」の歪んだ発現だ。
現状に問題がある、何かを変えなければならない。その危機感自体は正しいのかもしれない。
問題は「変える」方法だ。
壊すことは簡単だ。変えることは難しい。
既存の構造を理解し、良い部分を残し、悪い部分を特定し、段階的に改善する。これは地道で、時間がかかり、派手さがない。
一方、「全部壊して俺が作り直す」は派手だ。リーダーシップを発揮しているように見える。決断力があるように見える。
しかし実態は、理解する努力を放棄しているだけだ。
「複雑な問題には、単純で、わかりやすく、間違った解決策が必ず存在する」 ― H・L・メンケン
不眠キングよ。あなたの「最強のやり方」は、本当に最強だろうか。
連携促進定例は、要求仕様のずれを解消しただろうか。会議体のリセットは、組織のパフォーマンスを向上させただろうか。チームの再編は、何かを良くしただろうか。
結果で判断してほしい。
そして、離職率マスターよ。あなたの「変換」は、組織に何をもたらしているか自覚しているだろうか。
技術的な課題提起を「全部ダメ」に変換し、提起した人に飛び火させる。これは組織の学習を阻害し、まともな人から順番に去っていく原因になる。
ピコーンは気持ちいい。「分かった!」という感覚は快感だ。
しかし、複雑な問題に簡単な答えはない。ピコーンの後に、立ち止まってほしい。「本当にそうか?」と。
グレートリセットの誘惑に負けず、地道な改善を続けられる組織だけが、生き残る。
参考文献
- Spolsky, J. (2000). “Things You Should Never Do, Part I”. Joel on Software.
- Brooks, F. P. (1975). The Mythical Man-Month. Addison-Wesley.(邦訳『人月の神話』)
- Kruger, J., & Dunning, D. (1999). Unskilled and unaware of it: How difficulties in recognizing one’s own incompetence lead to inflated self-assessments. Journal of Personality and Social Psychology, 77(6), 1121-1134. DOI
- Parkinson, C. N. (1957). Parkinson’s Law. John Murray.