UIを変えれば解決すると信じる不眠キング ― マッチポンプと誤診の記録
Abstract
「みんな使いづらいって言ってる」を根拠にUI改善を宣言。しかし問題を作ったのは誰か、本当の課題は何か、すべてがズレている
本日の観察対象
不眠キング (Homo insomnicus superiorus) 役職:偉い人 / 推定睡眠時間:3時間 / 危険度:SSR
観察記録
第一章:突然のUI改善宣言
ある日、不眠キングがエンジニア陣の前で高らかに宣言した。
「今のUIが気に入らない。変える」
彼は嬉しそうだった。目が輝いていた。
エンジニア陣は困惑した。なぜなら、彼が「気に入らない」と言っているUIの複雑さは、かなりの部分が彼自身の要求によって生み出されたものだからだ。
「この機能も入れろ」「あれも必要」「これも表示しておいて」
そう言い続けた結果、動線は複雑化し、情報は過密になった。そして今、彼は言う。
「使いづらい」
これをマッチポンプと呼ぶ。自分で火をつけて、自分で消火活動をする。そして「火を消した俺は偉い」と言う。
第二章:「みんな使いづらいって言ってる」
不眠キングのUI改善宣言には、一応の根拠がある。
「みんな使いづらいって言ってる」
しかし、ここで重要な質問がある。
「みんな」とは誰か。
経験則から言えば、この「みんな」は以下のいずれかである:
- 不眠キング本人(N=1)
- 不眠キングと仲の良い2〜3人(N≒3)
- 不眠キングの脳内に住む架空のユーザー(N=0)
これはHiPPO問題として知られている。HiPPOとは “Highest Paid Person’s Opinion”(最も給料が高い人の意見)の略だ。
データに基づいた意思決定の代わりに、組織内で最も権威のある人の意見が通ってしまう現象。これが起きると、定量的な根拠は不要になる。「偉い人が言ってるから」で十分になる。
「“みんな”とは誰ですか?」と聞いてはいけない。 なぜなら答えは「俺だ」になるからだ。 ― 企業あるある格言
第三章:情報密度の矛盾
不眠キングのUI改善案を聞いて、さらに困惑した。
彼の要望は二つある:
- 動線を減らしたい(シンプルにしたい)
- 情報は維持したい(むしろ増やしたい)
これは矛盾している。
UI/UXの基本原則として、情報密度と動線はトレードオフの関係にある。情報を維持したまま動線を減らせば、必然的に一画面あたりの情報密度は上がる。
情報量 ÷ 動線数 = 一画面あたりの情報密度
不眠キングは分母を減らしながら分子を維持しようとしている。結果、商は大きくなる。つまり、UI改善と言いながら、情報密度を上げて余計に使いづらくしている。
これを数学的矛盾という。いや、算数レベルの矛盾だ。
第四章:診断ミス
ここで核心に触れる。
そもそも、なぜUIを変えようとしているのか。
不眠キングの主張:「継続的な記録を必要とする機能の利用率が低い。継続率も低い」
しかし、真の問題は別にある。
そもそもアプリ自体があまり使われていない。
これは「UIが悪いから使われない」のではなく、「使う動機がないから使われない」のだ。
医学でいえば、誤診である。
- 症状:利用率が低い、継続率が低い
- 不眠キングの診断:UIが使いづらいから
- 実際の病因:そもそも使う理由がない、継続するインセンティブがない
対症療法(UI改善)をいくら行っても、原因療法(動機づけの設計)をしなければ治らない。
第五章:Duolingoでさえ苦労する
ここで比較対象を出そう。
Duolingoは、言語学習アプリの世界的リーダーだ。継続率を高めるために、彼らは何をしているか。
それでも継続率の維持に必死なのだ。
しかもDuolingoのユーザーは「自分から学びたいと思って来た人」である。動機づけの初期値が高い。
一方、不眠キングが改善しようとしているアプリのユーザーは、必ずしも能動的に使いたいわけではない。継続的な記録という行為自体に、そもそも高いハードルがある。
「やる気がない人にやらせる」のは、行動変容の分野で最も困難な課題の一つだ。
それを「UI変えれば解決」と思っている。
舐めているのだろうか。
第六章:手段の目的化
話はさらに迷走する。
「デザインツールを導入したい」
不眠キングはそう言い出した。デザイナーと同じツールを使えば、コミュニケーションが改善されると考えたようだ。
この考え自体は間違っていない。同じものを見て議論することは重要だ。
しかし問題がある。
「部署の予算は厳しい」
それにもかかわらず、有料のデザインツールを希望している。コストを抑えた代替案を提案されると、「デザイナーが使ってるやつがいい。それ以外は後回し」と言う。
整理しよう:
- 予算が厳しい
- でも有料ツールが欲しい
- 代替案は後回し
- で、UIはどうなった?
もはや何がしたいのかわからない。
これは手段の目的化の典型だ。
本来の目的:ユーザー体験を改善する 手段:UIを変える、ツールを導入する 現状:手段の議論だけして、目的を見失っている
第七章:専門家のふりをする素人
最後に、最も根本的な問題に触れる。
不眠キングには特筆すべき特徴がある。専門家ぶるのだ。
ある時はUIの専門家のように語り、ある時はシステム開発の専門家のように振る舞う。その自信に満ちた態度は、知らない人が見れば本物の専門家に見えるかもしれない。
しかし、実態は違う。
彼はUIの見た目の話をしながら「これがシステム設計だ」と言った。
違う。
- UIデザイン:ユーザーが目にする画面の設計
- UXデザイン:ユーザー体験全体の設計
- システム設計:ソフトウェアの内部構造の設計
これらは異なる概念だ。
見た目をいじることと、システムの構造を変えることは、まったく別の作業である。ボタンの色を変えても、データベースのスキーマは変わらない。
しかし不眠キングの脳内では、これらがすべて「システム設計」という一つの塊になっている。
これはダニング=クルーガー効果の典型だ。能力の低い人ほど自己評価が高くなる認知バイアス。自分が何を知らないかを知らないので、自信満々に語れてしまう。
エンジニアが「それはUIの話ですよね」と言っても、「いや、システム設計の話をしてるんだ」と返ってくる。
言葉の定義が違うのだ。
そして最も厄介なのは、専門家ぶっている人に「あなたは専門家ではない」と指摘することの難しさだ。指摘すれば角が立つ。黙っていれば間違った方向に進む。
現場のエンジニアは、バカにされているのか、それとも本気で専門家だと思い込んでいるのか、判断に迷いながら今日も困惑している。
観察者の所感
不眠キングは、今日も元気だ。
UIを変えたい。ツールを導入したい。何かを改善したい。
その情熱は本物だろう。彼なりに組織のことを考えているのかもしれない。
しかし、致命的な問題がある。
問題の診断が間違っている。
医者が誤診すれば、どんな治療も効果がない。むしろ悪化させることもある。
不眠キングは「UIが悪い」と診断した。しかし本当の病因は「使う理由がない」「継続するインセンティブがない」「そもそもターゲットが間違っている」かもしれない。
その可能性を検証せずに、UIをいじり、ツールを導入し、会議を重ねている。
問題を正しく定義できれば、問題は半分解決したも同然だ。 ― チャールズ・ケタリング(GM研究所長)
不眠キングは、問題を正しく定義することなく、解決策の議論に飛び込んでいる。
そして最も悲しいことは、この迷走に周囲が巻き込まれていることだ。エンジニアは困惑し、デザイナーは振り回され、予算は無駄に消費される。
「みんな使いづらいって言ってる」
その「みんな」の中に、不眠キング自身の意思決定に振り回されている人々は含まれているのだろうか。
含まれていないだろう。
だって「みんな」は、彼の脳内にしか存在しないのだから。
参考文献
- Duolingo Engineering Blog. “How Duolingo’s Streak Builds Habit”
- Nielsen Norman Group. “Progressive Disclosure”
- Forbes. “Data-Driven Decision Making: Beware Of The HIPPO Effect”